迷宮入りした未解決事件!闇に葬られた謎9

未解決事件 謎

謎の未解決事件

未解決事件とは、文字通り犯人が逮捕されず未解決のままになっている事件です。未解決のまま時効になってしまった事件は「迷宮入り」と呼ばれ、真実は闇の中に消えてしまいます。

そしてそんな迷宮入りの未解決事件はかなりの件数存在しています。

今回は謎として語られる「謎の未解決事件」をご紹介します。

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未解決事件①ラトクリフ街道殺人事件

ラトクリフ街道殺人事件とは1811年にイギリスのロンドンにあるラトクリフ街道で起きた未解決の殺人事件です。この事件は切り裂きジャックと比較されるほど残虐な事件として当時の人々に恐れられました。

ラトクリフ街道殺人事件

一時は犯人が断定され、犯人の自殺によって解決したとみられましたが、現在では犯人とされた人物の他に真犯人がいるとされており、未解決事件のひとつに数えられています。

ラトクリフ街道殺人事件の内容

1811年12月7日の夜、ラトクリフ街道沿いに店を持つ店主夫婦、生後3か月の息子、店員の4人が何者かの手によって惨殺されました。特に遺体の損傷がひどかった妻と店員の少年は脳が飛散するほど頭を潰されており、赤ん坊は頭を潰された上に身体はひどく切り裂かれていました。

現場には凶器とみられる鑿(のみ)とハンマーが残されており、犯行は家政婦の女性が家を離れていた20分の間に起こりました。

さらに同年12月19日、この店の近くのバーで店主夫婦と店員の少女が同じ手口で惨殺されました。少女の頭蓋骨は粉砕され、首と胴体はほとんど切り離された状態でした。

犯人の逮捕

この事件の4日後、ジョン・ウィリアムズという27歳の青年が犯人として逮捕されました。彼は最後まで犯行を否認しましたが、被害者たちの店を使ったことがあり、事件当日の服に血痕があったという証言により犯人と断定されました。

ウィリアムズは独房で首を吊って自殺したことで彼が罪を認めたと解釈され、死体は町中を引き回された後に、1万人の観衆の前で晒し者にされ心臓に杭を打たれました。

捜査への疑問

当時の警察の調査は非常に稚拙なもので、ウィリアムズの他にも噂話を証拠として数十人の容疑者が拘留されていました。そのほとんどは外国人や精神障害者で現代であれば偏見と見られても仕方ないような状況でした。

また、ウィリアムズの逮捕後に凶器とみられる鑿とハンマーの持ち主が判明したにも関わらず、その人間には捜査が行われませんでした。現在では犯人がウィリアムズだという証拠はほぼない状態で、彼の死が本当に自殺だったかも疑問視されており、真犯人は他にいたという見方が強いようです。

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未解決事件②切り裂きジャック事件

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)事件は1888年のイギリスで通称「切り裂きジャック」によって引き起こされた凄惨な猟奇殺人事件です。ジャックの正体は現在も議論の的になっており、世界一有名な未可決事件として知られています。

切り裂きジャック事件

事件の始まり

この事件は1888年8月31日に売春婦のメアリー・アン・ニコルズがバラバラ死体になって発見されたことから始まります。被害者は全て売春婦で少なくとも5人が殺されています。

被害者は全てメスのような鋭利な刃物で切り裂かれており、子宮や膀胱などの臓器が抜き取られていました。このことから切り裂きジャックは医師か解剖学の知識がある人物の犯行と見られています。

切り裂きジャックの犯行

ジャックの犯行による被害者は20人に上るとも考えられていますが、現在彼の犯行であると断定されているのは5人の女性の殺害です。最初の殺人の後、比較的短い間隔で事件は起こっています。

9月2日、二人目の被害者アーニー・チャップマンは惨殺されたあと子宮と膀胱を持ち去られました。9月30日にはエリザベス・ストライド、キャサリン・エドウッズの二名が殺害されキャサリンは腎臓と子宮を抜き取られています。

エリザベス殺害の際、ジャックは唯一その姿を目撃されています。11月9日、最後の被害者であるメアリー・ジェイン・ケリーが殺害されます。

メアリー・ジェイン・ケリーの事件は最も凄惨で、彼女は内蔵や皮膚に至るまで身体のほとんどをバラバラにされていました。

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切り裂きジャックからの手紙

切り裂きジャックは新聞社に対して3通の手紙を書いています。1888年9月27日、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーはジャックから最初の手紙を受け取りました。

“Dear Boss” (親愛なるボスへ)から始まるこの手紙は非常に挑発的で自信に溢れており、警察の無能さや売春婦に対する嫌悪の情が書かれていました。同社にはこの後もう1通の手紙が届いている他、1888年10月16日にはホワイト・チャペル自警団代表ジョージ・ラスク宛には郵便物も送られています。

ラスクへの手紙は「地獄より」の書き出しで始まっており、箱の中には人間の腎臓がアルコールに付けられた状態で入れられていました。検査の結果、この腎臓は女性のもので生前に大量の酒を飲んでいた人物のものと特定されました。

切り裂きジャックを名乗る手紙はこの他にも多く確認されていますがそのほとんどはイタズラと考えられています。しかし、上記の3通に関しては本物との見方が強いそうです。

切り裂きジャックの人物像

女性を狙う犯罪の多くは犯人の性的嗜好が大きく影響するといわれています。被害者の多くは40歳を超えていたため、ジャックは中年女性に対してそのような感情を持っている可能性が高いと考えられました。

また、現場の状況から被害者は犯人に対して警戒をしていなかったと思われる点が多く、警察官や女性の犯行の可能性も存在しました。シャーロックホームズの作者コナン・ドイルも切り裂きジャックの正体は「女装した男性」ではないかと推理しています。

また、犯行現場の壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」と書かれていたことからユダヤ人の犯行ではないかともいわれています。

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切り裂きジャックの正体

切り裂きジャックの正体ではないかといわれている人物は多く存在します。教師であり弁護士のモンタギュー・ジョン・ドルイトは目撃されたジャックの特徴に酷似しており、最後の事件の日に入水自殺をしています。事件当時のアリバイもなく彼は有力な犯人候補とされています。

また、医師のマイケル・オストログには殺人の前科がありました。アリバイがなかったことから彼も容疑者にひとりに数えられています。

同じく医師のトマス・ニール・クリームは劇物を使って売春婦を殺害することから「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていました。彼は死刑が執行される際に、「私が切り裂きジャックだ」と言ったといわれています。

アーロン・コスミンスキーはユダヤの理容師で、売春婦を憎んでおり犯罪歴もありました。DNA鑑定の結果、犯行現場から採取されたものとアーロンのDNAが一致したことから名前が挙がりましたが、当時の鑑定は精度が低く現在では証拠にはならないとされています。

精肉業者ジェイコブ・リーヴィーも容疑者のひとりです。プロファイリングの結果、切り裂きジャックは「ユダヤ人で返り血を浴びても不審がられない精肉業者」と考えられていました。

彼の妻は夫の様子がおかしく、深夜に街を徘徊していると証言しています。これだけ多くの容疑者が見つかっていても当時の警察は切り裂きジャックを特定することができませんでした。

未解決事件③リジー・ボーデン事件

リジー・ボーデン事件は、1860年にアメリカのマサチューセッツ州で起きた殺人事件です。この事件により父母を殺害されたリジー・アンドリュー・ボーデンの名前からこう呼ばれるようになりました。

リジー・ボーデン事件

1892年8月4日の朝、父アンドリュー・ジャクソン・ボーデンと継母アビー・ボーデンの惨殺死体が自宅で発見されました。二人はどちらも斧で頭を割られて殺害されており、アンドリューの眼球は綺麗に真っ二つになっていました。

事件の背景

ボーデン家では、最初の母が亡くなってから家庭内の確執が深刻化しており、家族は別々に食事をとるような状態でした。父アンドリューの多額の財産相続の問題もあり、自宅は継母が継ぐことが決まっていたことも問題を悪化させていました。

犯行時に出かけていたリジーですが証言に不審な点が多く、近所の薬局から劇薬を購入しようとしていたことが判明し殺人罪で起訴されます。

リジー・ボーデン裁判

警察の捜査でボーデン家の地下室から斧が発見され、それが凶器ではないかとされました。この斧には柄がなく、警察は返り血を洗い流すことができなかったリジーが折って捨てたと主張しました。

しかし、返り血の付いた服がないことやその斧が犯行に使われた証拠がないため、リジーは無罪となっています。犯人とみられる人物の名は他にも挙がっており、病気中に窓ふきを命じられたメイドの怨恨による犯行やアンドリューの隠し子が犯人とする話まであったそうです。

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未解決事件④臀肉事件

臀肉事件(でんにくじけん)は、1902年3月27日に現在の千代田区で起こった殺人事件です。近くに住んでいた当時11歳の少年が死体となって発見されました。

臀肉事件

少年は両目が抉られ、尻の肉が剥ぎ取られているという凄惨な状態でした。目撃情報もなく捜査は難航しました。

容疑者野口男三郎

事件の3年後、野口男三郎が容疑者として逮捕されました。男三郎は別の殺人事件の捜査中にその名前が浮上し、臀肉事件との関連が疑われました。

彼は臀肉事件の犯行を自白し、少年の肉をスープにして食べたと証言しました。しかし、証拠が不十分であり警察が男三郎を拷問した可能性を疑われたため最終的には無罪判決となりました。

彼は別の事件での死刑が執行され、世間を騒がせた臀肉事件は闇に葬られることになりました。

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未解決事件⑤ヒンターカイフェック事件

ヒンターカイフェック事件は1922年3月31日にドイツで起こった殺人事件です。当時、犯行現場になったヒンターカイフェックには農場主のアンドレアス・グルーバー、妻のツェツィーリア、娘のヴィクトリア・ガブリエルとその長女ツェツィーリアと長男ヨーゼフ、そして使用人のマリア・バウムガルトナーの6人が住んでいました。

ヒンターカイフェック事件

数日間姿を見せない一家を不審に思った隣人が訪ねてきたところ一家全員が死体となって発見されました。夫妻とヴィクトリア、長女のツェツィーリアは納屋でつるはしによって殺害されており、長男のヨーゼフは母の寝室で、使用人のマリアは自室で死体となって見つかりました。

ヒンターカイフェック事件の結末

死体の発見が遅れ、目撃者もいなかったことから警察の捜査は難航しました。現場検証の結果、犯人は犯行後殺人現場であるこの家で食事、睡眠をとっており、さらには家畜に餌まであげていたことがわかりました。

また、長女のツェツィーリアは襲撃後も数時間にわたり生きており、苦しんで自分の髪の毛を引き抜いていたこともわかっています。彼女の目の前には亡くなった祖母と母親の死体が並べられていました。

警察はこの事件の情報に懸賞金を懸け、数年にわたり捜査を続けましたが結局犯人は見つかりませんでした。

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未解決事件⑧キングズベリー・ランの屠殺者

キングズベリー・ランの屠殺者は1930年代のアメリカの正体不明の連続殺人犯です。「キングズベリー・ラン」は最初の被害者が発見された土地の名前です。

この猟奇的殺人者は1935年から1938年の間に12人もの人間を惨殺しました。そのうち身元が判明しているのは3名のみで他の被害者はスラムの住人ではないかと考えられています。

殺害方法

キングズベリー・ランの屠殺者は全ての被害者の首を切断しており、中には四肢を切り離していたり、胴体を半分にしている場合もありました。男性被害者の多くは去勢され中には科学的処置を施しているケースもあることから、犯人は死体の扱いに慣れている人物ではないかとされています。

キングズベリー・ランの屠殺者

被害者の多くは死後数年が経過してから発見されており、頭部がないものも多いことも身元不明者が多い一因になっています。

キングズベリー・ランの屠殺者の正体

有力な容疑者とされる人物は2名存在しています。ひとりはクリーブランド市民のFrank Dolezalで、一度逮捕され殺害を自白しました。

しかし、警察の拷問による自白だとして後に撤回しています。彼は刑務所の中で暴行を受け死んだといわれています。

もうひとりはFrancis E. Sweeney博士で、彼は第一次世界大戦中に多くの外科手術をしており、嘘発見機によって容疑者とされました。しかし、警察からの尋問の後で入院し、その病院でそのまま亡くなってしまいました。

博士が入院して以降、犯行が行われなくなったといわれていますが、彼が犯人である証拠は当時の嘘発見機のみで信憑性に欠けるといわれています。こうしてキングズベリー・ランの屠殺者の真相は闇に葬られました。

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未解決事件⑦ブラック・ダリア事件

ブラック・ダリア事件は1947年1月15日にアメリカで起こった殺人事件です。映画化した小説「ブラック・ダリア」のモデルになった事件として知られています。

黒い服を多く着ることから「ブラック・ダリア」と呼ばれていた新人女優のエリザベス・ショートはロサンゼルスで死体となって発見されました。

ブラック・ダリア事件

彼女の死体は激しく損傷しており、胴体を真っ二つにした後、きれいに洗浄されていました。犯行と思われる人物からダリアの所持品が送られてきましたが、指紋は発見されませんでした。

この事件は世間の注目を浴び、犯人を名乗る人物が500人も出頭する事態にまで発展したが真犯人を見つけることはできませんでした。

未解決事件⑧タマム・シュッド事件

タマム・シュッド事件は、1948年12月1日にオーストラリアの南オーストラリア州で身元不明の男性の遺体が発見された事件です。この事件の名前は遺体のズボンのポケットに「タマム・シュッド(ペルシア語で終わった)」と書かれた紙が入っていたことに由来します。

遺体は海岸で見つかり砂浜の上に寝かされており、遺体の耳の裏と襟にはタバコが挟まっていました。

タマム・シュッド事件

検死の結果、生前の彼の健康状態は良好だったことが判明しました。そのことから薬物による自殺、他殺を疑われましたが体内から毒物は検出されませんでした。

この男性の写真と指紋は世界中に発表されましたが、結局身元も自殺か他殺かもわからないままでした。

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未解決事件⑨ボーイ・イン・ザ・ボックス事件

ボーイ・イン・ザ・ボックスは1957年にアメリカで起こった殺人事件です。被害者はおよそ4~6歳の少年で、裸で段ボール箱に入れられた状態で発見されました。

ボーイ・イン・ザ・ボックス事件

また、遺体は身体中に痣があり毛布にくるまれた状態だったといいます。身元を割り出すため少年のポスターも作成されましたが、有力な情報は得られませんでした。

事件の行方

この事件には多くの証言が寄せられましたがその多くはガセ情報だとわかっています。しかし、その中でも有力されている証言がふたつあります。

ひとつめは発見現場の近くにある児童養護施設に関するものです。当時事件を調査していた監察医務院の男性が有名な女性霊能力者に助言を求めたところ、彼女が証言した内容に一致するのがこの施設でした。

彼女は初めて発見現場に案内された際、そこから迷うことなく施設に到着することができたそうです。さらに男性が施設を調べたところ少年がくるまれていた毛布と段ボール箱に酷似したものを発見しました。

ふたつめは匿名女性による証言です。その女性は「M」と名乗り、自信の母親がお金で少年を買い取り2年間にわたり虐待を続けたと話しました。

ある日少年が風呂場で吐いてしまった際に、母親が少年を床に叩き付けそのまま殺してしまったというという内容でした。しかし、最終的には犯人が見つかることも少年の身元が判明することもありませんでした。

出典・画像:wikipedia

いかがでしたか?謎が解明されないまま闇に葬られた未解決事件。その真相が明かされる日は来るのでしょうか。

世界にはまだまだ謎が溢れています。